Y. Y. 様

メルボルン大学ブリッジング英語プログラム(UMELBP)+スタディーアブロード

留学の動機

昨年の8月にメルボルンを日本の大学のプログラムできて以来私の将来の未来計画は着々と描かれつつあったのかもしれないです。前回の滞在でさらにメルボルンで勉強したいという気持ちが固まりました。最初は安易な気持ちで行きたいと思っていたメルボルンですが、いろいろな経験を通じてしっかりした目標を持つことができたのかもしれません。それは何より両親の理解と支え、新たな人との出会い、友達のアドバイスがあったから今の自分が存在するのであると思います。

留学準備~IELTS

 

そのためある意味で2009年の3月から9月までは自分を試すいい機会でもありました。3月に帰国以来、正直日本の大学の授業には心意気なじめなかった、しかし今考えると現実逃避的になじみたくなかったのかもしれない。

日本に帰ってどれくらい自分に厳しく生きれるか、メルボルン大学に入学するには最低でもIELTSのスコアで6.5必要であった。そのために日本の大学を休学することに決めた。自分の目標をより細かく明細なものにするために、また自分だけの力で必要点数を取れるか。IELTSは過去に受験したことがあったがそのときは5.5でした。

 

3月から3ヶ月間毎日のようにIELTSの教材CDを聞き込み、リーディングもできるだけ毎日やるようにしていました。幸い京都には仲のいいアメリカ人の友達とオーストラリア人の知り合いがいたために彼らがテストの練習相手となってくれましたが、しかしオーストラリアのように常に英語と言う環境に身をおくことはほぼ不可能であった。

 

IELTSの受験結果、スコアはOverall6.0でした。正直0.5ポイントライティングが足りなかっただけで入れないそれが現実でした。あきらめきれずにいろいろと選択しやアドバイスを聞いたところ、そのとき幸いメルボルンエデュケーションセンターの山下さんにUMELBPプログラムがあるということを教えていただきました。親と話し合った結果それに参加しようと決めました。10週間のコースで大学進学を目指すコースで余計にお金はかかってしまったが今となっては今の大学生活がスムーズに行っているのはコースを通じていろいろな基礎能力を養えたからではないかと思いますが、もしIELTSが6.5とれてそのまま大学へいっていたら今以上に苦労していたと思います。

メルボルン大学ブリッジング英語プログラム (UMELBP)について

日本でIELTSは5月末に受け、UMELBPは11月スタートだったためにその半年間の間は案の定少し勉強に対して緩みが出てしまったのかもしれません。大学から条件付入学とホーソンからOFFERをもらって少し安心していたのかすこし勉強に関する姿勢が揺らいでしまいました。そのためにUMELBPのコースが始まった最初の2週間3週間は正直すぐにクラスのレベルに着いていけませんでした。自分の油断した気持ちにかなり後悔しました。

 

ライティングに関しては正直かなりぼろぼろでした。自分では定期的に書いて練習をしていたつもりでしたが、メインの先生からこのままだったら大学にいけないしコースをクリアできないと言われかなりショックでした。正直WEEK8くらいまではクラスで最下位に近い落ちこぼれな成績だったと思います。中間テストも合格点ギリギリのクリアでした。

 

でもいつも支えてくれたのが18Gのクラスメートとホーソンの先生たち。彼らの支えがなかったら今こうして大学で勉強することができないで日本に帰っていたと思います。10週間のプログラムは短いようで長く感じました。最終日まで自分のふがいなさで大学にいけるのかいけないのかがすごい不安とストレスで毎日そのことばかり考えていました。

 

最終日の成績発表の日に合格通知をもらったときは人生で初めて心からのうれし泣きをしました。今でもあの瞬間が脳裏に焼きついています。大学いくまでに学んだことは自分から動くことがとても大切ということです。そして目標をしっかり定めることです。またわからないならわからないとはっきりいうことが自分の問題も解決できるし今後の問題解決の道しるべにもなります。本当に18Gの仲間がいてよかったなと今でも思います。彼らとは今でも定期的に大学のカフェであったりして連絡を取り合っています。

スタディー・アブロードについて

  • 学校生活

UMBELPが終わってすぐに大学での勉強が始まりましたが今ではそのほうがよかったかもしれません。大学での最初の12週間を終えて感じたことは日本より本当に課題や要求されるリーディングの要領が多いこと、正直いって大学をエンジョイできるってことはある意味無理かもしれませんでした。友達づきあいとかは楽しかったですが。勉強で人生を削ったのは初めてかもしれません。

 

また12週間で主に出かけたと言えば大学の図書館と家の往復、もしくは勉強するために友達の家。この3箇所ぐらいです。よく雑誌とかで留学は楽しいです、若いうちに行くべきなですっていう売り文句をよく見かけますが正直あれはビジネスのための言葉でしかありません。大学で学位をとろうと思って勉強している人は普通の時間には正直寝られません。経験では課題の期限が迫ってくると徹夜が続くこともかなりありました。

  • 授業

また英語学校での大学向け勉強なんか月とすっぽんのようで100倍以上の仕事量が求められます。ホーソン時代は多くて5-6ページが宿題で出ていましたが大学に入ってからは週100P以上のリーディングを求められることもありました。もちろんとるクラスにもよりますが、私の専攻は社会学と登録していた科目が犯罪学とジェンダー形のシネマスタディだったので余計に量が多くただ読むだけではなく理解してそれを自分の言葉としてチュートリアル(少人数クラス)説明できる必要があります。

 

チュートリアルやクラスに向けての準備もかなり時間を費やしました。もちろんクラスは日本人がいるときもありましたが大体のクラスメートはオーストラリア人も英語圏のクラスメートもいたために彼らと一緒のクラスで授業に参加するのはある意味挑戦でした。そして授業は専門用語が多く出てくるので予習復習は必須の行動です。またほとんどのクラスがそのような感じだったのでいつも戦いでした。またチュートリアルでの積極性もかなり評価されます。

  • 課題との戦い

そしてなかでもかなり苦労したのがエッセイライティングでした、大学は科目やクラスごとにライティングの目的がかなり異なり、またしっかりエッセイの中での議論、問題の内容を理解しているかをかなり見られます。そのために最初の犯罪学の課題のエッセイはうまいことかけませんでした。自分では議論を載せて自分の考えをしっかり問題の答えに載せて書いたつもりでしたが、結果はP(パス)だけでした。理由を聞くとチューターは「あなたの言いたいことはよくわかりますがそれを証明する根拠はアイデアは」と聞かれそこでライティングの違いにはじめて気がつきました。

オーストラリアやおそらくアメリカの大学ではエッセイに信憑性を持たせるためにかならず自分の意見を参考文献で証明しなければいけません。この部分が一番時間を費やしまた参考文献として使うためにその文献を読みノートをつくる時間が勉強時間以外にかかるために大学の多くの課題が日本で自分がやっていたような一晩で仕上げるということが不可能です。

 

課題を仕上げるのにも大体締め切り2週間もしくは3週間まえから仕上げるためにスタートするのがこっちでは普通でした。英語力にもやはり不安がありましたが大学での留学生サポートサービスやネイティブの友達のサポートもあっていろいろと自分でも驚くぐらいの英語を書くことができるようになったと思います。セメスターを通じていろいろと仕組みがわかってきたので次のセメスターは少し社会的交流も増やそうと思います。

  • 最後に

最後に1セメスターを通じて学んだことは人間関係をたくさん作ること、チューターや教授に仲良くしてもらうなど自分なりの努力で大学生活を送ることが大事ということ、また常日頃の勉強の必要性、目標を持って勉強することが重要であること。