梶原 拓也 様

ディーキン大学附属英語学校+ディーキン大学スタディーアブロード

大学名:同志社大学グローバルコミュニケーション学部
期間:2013年2月~同年12月
留学先:ディーキン大学附属英語学校 20週間
    ディーキン大学 スタディーアブロード・プログラム

はじめに

私は2013年に10か月間オーストラリアのヴィクトリア州に留学していた。私にとって初めての海外であったので記憶に残る経験となった。今でも初めてホームステイ先についた時のことを覚えている。いろいろな方に支えていただいたとはいえ、一人で海外の家庭に放り出されたときは絶望感を味わった。どのように生活したらいいのだろうか、ホームステイ先の家族と仲良くできるだろうか。などいろいろな心配事はあった。しかし一年間をオーストラリアで生活することができた。この経験は間違いなく私のこれからの人生において大きな糧になるだろう。留学というのは自分が慣れ親しんだ国から離れ、知らない土地、言語、文化の中で生活していくことだ。その異文化体験は自分のキャリアに影響してくる。私は将来、農業に関連する仕事をしたいと思っている。農業といってもとても広い分野なので特に稲作を世界中に広げていきたい。この私の将来の夢は留学での体験が深くかかわっている。これから留学中の出来事と私の将来の関係性について述べていきたい。

オーストラリアの食について

オーストラリアの食べ物として一番に思いつくのはオージービーフだろう。分厚い牛肉をステーキで食べるのを何度も想像した。しかしそれはオーストラリアの食の氷山の一角でしかなかった。オーストラリアは移民の国である。なので街には様々な国の料理を出しているレストランが軒を連ねている。多くのレストランではシェフがその国の出身であることがままある。なので本場の料理をオーストラリアで味わうことができる。私はできるだけいろいろな種類のレストランに行った。様々な調理法、香辛料など国よって全く異なる料理を食べることができた。食という分野に興味を持ち始めたのはこの分野の深さを知ることができたからだ。同じ食材を使っていても調理する人によって全く異なる味になるのはシェフの持っている文化などが関係しているのだろう。特に私が気に入っているのは大学の近くのBurwood HighwayとStation Streetの角にあるGeppetto’sというお店のステーキが好きだった。しかし多くのレストランで感じたのは米がおいしくないということだ。もともとの品種が違うのだろうが、パサパサであまり味がしない。オーストラリアの稲作は水不足によりあまり発達しているとは言えない。オーストラリアにある日本料理店では日本から米を輸入している。その話を聞いたときに感じたのは日本の米が優れているということだ。日本の米は日本食に合うのはもちろん海外の料理でも違和感なく味わうことができる優れた品種であるこれは日本の誇ることのできるポイントだろう。私はこれを世界中に広げていきたい。

出会った人たちについて

先ほど述べたようにオーストラリアは移民の国である。留学にも多様な国籍の人たちが来ている。様々な言葉を話す人が集まって机を並べるのはとても新鮮な感覚だった。それまで外国人とほとんど話したことのなかった私は初めとても緊張していた。英語がとても拙く、何を話せばいいのかわからなかったこともあり当初は誰とも会話をできなかった。英語を使った会話をすることに慣れていなかったので、自分の文法鵜や発音が合っているのかがとても不安だった。しかし今では多少なりとも外国人と会話ができるようになった。なぜなら英語をしゃべらざるを得ない環境にいたからだ。授業中や留学先では会話をしなければ生活がなりゆかない、どんなに拙い英語でも話しはじめないことには何も始まらない、そのおかげですっと口から英語が出る良ようになっていった。今思えばこれが英語力を向上される第一歩だったのだろう。私が思うにこれは留学中でしか経験できないことだと思う。日本ではいくら英語を話そうとして周りに影響されて全ての会話を英語にすることは難しい。英語を絶対に話さなければならない環境は私にとってこれ以上ない学習の場であった。この経験が英語をコミュニケーションツールとして正しく認識した瞬間だったと確信している。さらに大学での国際交流は私のキャリアにも大きな影響を及ぼした。私が日本人だと分かって外国人が初めに会話のトピックにするのは日本の文化や料理に関することだ。「僕は寿司が好きだよ!」、「わたし○○ってお寺に行ってみたいのだけど、どういうところなの?」などのコメントや質問に私はすぐに答えることができなかった。名称などは知っていても詳しく何も教えられない。ほかの人が自分の国について祠誇らしげに説明しているのを見て自分がみじめに思えた。どれだけ自分の国のことを知っているのだろうが。そんなことを再認識させられた。留学前に日本の文化を勉強して行くべきというアドバイスは何度も貰っていたが、自分の属する文化なのだから今さら学ぶことはないと思っていた。全くの誤認だった、私は日本の文化を何も知らなかった。知っているのは名前だけ。それを知っているとは言えない。そして日本のことを勉強している過程で心に留まったのが農業についてだ。日本の農業は海外と差異を見つけやすい日本の立派な文化だ。これを世界中に広めていくことを仕事にしたら私は私を本物の日本人として認識できるのではないかと考えている。そのような仕事に英語力は必須である。英語は言語であって授業の科目ではない。母国語もまだ未熟である私には一生をかけて憶えていかなければならないだろう。これからも大学で英語の勉強を続けていきたい。

お世話になったお寿司屋さん

最後に述べて行きたいのは留学中にお世話になってきたお寿司屋さんについてだ。これは他の留学生とは全く異なる体験であるし、留学中でのルールに多少違反してしまうかもしれないのでこのレポート読んだら直ぐに忘れていただけると幸いだ。このお寿司屋さんは私が参加していたテニスクラブの知り合いの人が働いていた店だ。私が日本の食について学びたいと漏らしていたので紹介していただいた。そのお店はオーナーが日本人で本格的な寿司を提供している。米や炊飯器を日本から輸入する徹底ぶりだ。日本料理の代表とも言える寿司を間近で体験できることは私とって貴重な体験だった。特に私が注目している米に関しては真摯な姿勢だった。米の厳選はもちろん、炊き方、酢飯の作り方など独自のレシピで作っていた。米に対して日本人はこんなにも真剣なのかと新たな一面を垣間見ることができた。私も寿司作りに参加することができた。オーストラリアではポピュラーである巻きずしを主に作っていた。魚のおろし方から寿司の巻き方までいろいろ教えていただいた。とても繊細な作業で人の口に入る物を作るのは大変であった。私が作っていた巻きずしは持ち帰り用のもので予想より多くのオーストラリア人が買っていった。来店する人も現地の人が多くて驚いた。寿司はオーストラリアでは外食の候補として認知されていた。これは日本人としてとても誇らしいことだった。自分の国の食べ物にこれ程愛着が湧くのはこの経験のおかげである。一番うれしかったのは自分の作ったものを美味しかったといっていだたいた時だ。食べ物を通して人と分かり合えたと感じた。飲食店を自分で開くことも考えたが多くの人に日本の文化、自分の考えを伝えるには元になる食材を作ることのほうが効率的に思えた。専門的な知識のない私には一人では稲作はできない。私にできることは農家と消費者をつなぎ日本の文化を伝えることだ。適正な技術、道具で世界中に米を広げていきたい。例え、原産国が日本でなくても日本式で作られた米には日本の文化が含まれている。

最後に

これが私の留学のレポートである。留学は私の希望するキャリアにとても影響している。私の留学は他の人とは大きく異なることは自覚している。しかし私は後悔をしていない。なぜならこの留学だったからこそ今の考えに至ることができたからだ。ただ勉強をして友達と遊んでいただけでは出来ない経験こそが日本人としての自覚やキャリアに良い影響を与えてくれた。山下さんをはじめ多くの方々には多大なご迷惑をおかけしたことは自覚している。今できることはその恩をしっかりこれからに生かしていくことだと思う。これからもしっかり勉強を続けていきたい。